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FukushimaJuggL

どんな意見
考え方があってもいい、
まずは仲良くなろう!
はそれからだ!

「路上」という開けた場所での参加フリーのイベント、それが「福島JuggL」です。
2015年から、いわき駅前で始めました!

福島の子供たちがなにか言いたくなった時や、なにか表現したくなった時に、
いつでも参加できる「解放区」のような場所を目指しています。

始めた頃は人がいなくてかなり寂しくやってたけど(笑)諦めずに毎月やり続けて、今は、
高校生をはじめ、たくさんの地元の人たちが参加してくれています!

2021年の夏に「福島JuggL Jamboree~平和のための3日間~」を密かに計画中!
が、コロナのヤツのせいで全然見通しがたっていません!!

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私達も福島に通い始めて10年。

まだまだこれからですが、
まあ、ひとつの節目として
コメントめることにしました!
随時更新していくのでよろしくね!

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【ねねこ】福島県いわき市 震災当時:小5

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なんてコメントしたらいいか伝わるかわからないんですけど、
私たちは一般人で専門的な知識とかどうしたら良い方向に向かうかとか(技術面で)なかなか分からない部分も多いからこそ声を大にして、原発反対と伝えていくしかないと思うんですよね。
同じようなことが起きて、また大変なことになる前になんとしてでも食い止めていくしかないと思います。
無責任に再稼働や新しい原発を建設して、また同じようなことが起こって、しょうがないで済まされたらたまったもんじゃないですから…。
国を動かしてる大人たちに21年しか生きてない人間でもこう思ってるよってことが伝わるといいなぁ。
イベントもぜひ参加したいです!
参加できるかは時期にも寄るんですけど、大々的にやりたいですね!!
全国の人に私たちの思いが少しでも伝わったら嬉しいです。
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【ナオト君】福島県いわき市 震災当時:中2

震災、原発事故から10年経って
多少僕も大人になりましたけど
正直僕はほとんど考えなくなってしまってますね
仕事の事、今で言えばコロナの事現在自分に直接的な物事を考える余裕しかないのが現状です。。
最近Fukushima50という映画を見まして、震災当時の原発の状況をモデルにした映画なんですがそれを見てようやく震災当時の事を思い出すような感じです。
忘れちゃいけないことだと僕も思いますがなかなか普通に生活しちゃってるとキッカケがないと考えるような時間もないですね🥺
新月の皆さん、福島JuggLに参加してる皆さんが行動してそのキッカケになると思うので凄く良いと思いました!
そしてそのキッカケから誰かのキッカケになりたいって人も出てくると思うので、これからも頑張ってほしいです!
僕は誰かのキッカケには今の所なれてないですが新月の皆さんの活動はSNSで見てたりして刺激を貰ってるのでそのうち機会があれば僕も協力出来たらと思います(笑)
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【遠山一夫さん】福島県いわき市 震災当時:45歳

わからない事解決しない事いつからかそのままにして大きな顔して部屋のど真ん中で堂々と横たわっている

狭くて苦しくて切なくてやるせないわからない
嘘は付かないそんなの嘘だけど被害者面した加害者さ

あれから10年 もうなのかまだなのか 俺には何か出来ただろうか

福島JuggLは新月灯花にしか出来ない事
若者達が輝いてる
若者も大人も一人の人として学びゆく場
それが福島JuggL

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【細井祐介(隊長)】福島県いわき市 震災当時:21歳

JuggLは地元の人でも忘れてる大事な事毎回、思い出させてくれます
今も続いてるJuggLって言う歴史は誰も真似出来ないし過去に起こった事実をいつか
笑い話に変えてくれるような新月の4人に出逢えて良かった
LOVE&Peace!
バーベキュー台増やしとく!
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【鈴木双葉さん】福島県いわき市 震災当時:小5

JuggLっていうのは私にとって人前で何かをするって言うことの第1歩だったような気がする。
やりたいけど…でも周りの目が…って燻ってた私をメンバーが「やりなよ!」って笑顔で見送ってサポートしてくれた。
結果JuggLにずっと参加して、月に1回自分の歌声をこのいわきに響かせることが出来るステージが出来上がったこと、主催の新月灯花さんととても仲良くなれたこと、そして私が参加した後もたくさんの高校生がコミュニティのひとつとして音楽を通じてこのJuggLに参加してくれたこと、全部が私にとっての宝物だし素敵な思い出。素直に嬉しく思います。

ティーンズが自己発信できる場、新たな自己表現ができる場として、歌うことだけではなく、楽器のパフォーマンス、コーラス、アカペラ、ラップ、色々自分自身に挑戦してくれた人たちがいたなぁと思い返してしみじみ。

ただわちゃわちゃと歌って楽しんで終わり、それでもいいんだけど福島JuggLはそうではなくて、訴えたいこと、真の狙い、目的をしっかりと芯に持っているイベントだよね。

震災があってから福島は周りから見たらもう無理だと思われるくらい寂れてしまった印象がついているのかもしれない。

「放射能」「被爆」「原発」こんな言葉達が飛び交い続けて、普通じゃ知ることの出来なかったことまでそれが日常として植え付けられた福島で生まれ育った子供たち。

震災当時はランドセルを背負っていた子、卒業式だった子、お母さんにおぶられてた子、背景は十人十色それぞれあれど、みんないい歳になってこうして元気で音楽を発信できる立場になりましたとJuggLを通して福島の人達に伝えられてるんじゃないかな!

今度はコロナという大きな壁が福島だけじゃなく日本中を震撼させているわけだけど、JuggLがまたできるようになったら、そこからも復活したぜ!元気だぜ!ってまた言える日を楽しみにしています

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【嵐くん】福島県福島市

*3パターン書いてくれたのが、どれも良かったので、全種類掲載させてもらいました。


私の住む福島市という街はどうも放射能、原子力というキーワードと繋がりが強いようで、太平洋戦争の時には原爆の模擬爆弾が落とされ、美術館にはビキニ水爆で被爆した第五福竜丸をテーマにした絵画が収蔵されており、そして、東日本大震災では実際に放射能に汚染されました。震災の後、原発が爆発した後、放射能は山を越え福島市に到達し高線量のホットスポットとしてニュースに取り上げられるようになったのです。あの頃は、今のコロナにより日常の中の行動に注意をしなければならないように、見えない恐怖、息苦しさ、差別を感じながら日々を過ごしました。それは、心の中に閉まって置くことは出来ても、忘れることは出来るはずもなく、今も心の中に棘のように引っ掛かり残っています。
2018年に福島駅の近くに原子力をモチーフにした少年像が設置され、すぐにその設置に反対が沸き起こり撤去されたことからも、時が過ぎても心にそういった思いを抱えている人々は福島には少なくないと思います。

原発事故というものを考えた時に、あれは天災ではなく人災だったのではと思います。それは誰か個人の過ちとかではなく、地域と企業、政府、それら日本社会の未熟さが作り出した事故であり、日本人の国民性や意識が民主主義とは遠いところにあるために深刻化した事故だったのではないでしょうか。そして今のコロナ禍の日本社会を見ていると、そこには社会の成長や熟成といったものは見受けられないように思います。むしろ、物凄いスピードで情報が走り去っていくこの情報化社会の中で事故の教訓は彼方へと忘れ去られていのではないかとすら思えるのです。そんな中、現在はコロナ禍の為、中断もありますが毎月いわき市に通い、交流を続け、原発事故について考え行動し続ける新月灯花の活動は私にとっても共感するものが多く、新月灯花の開催する福島JuggLに参加しています。

2015年、新月灯花は原発事故の一番の被害者は子ども達ではないかと考え、その子ども達の表現の場所を作りたいと福島JuggLという手作りの小さなイベントをいわき駅で始めました。オープンマイクという参加自由の音楽でも、お笑いでも、大道芸でも、人前に立って何か表現する場所が福島JuggLです。そして近年、福島JuggLには若い学生たちが多く参加してくれるようになりました。
福島JuggLは誰でも参加できるイベントですが、自分から参加しようと行動しなければ参加できません。自分から挑戦しない限り立てない、自主性で立つステージです。でも一度そう決めたならば、そこには参加のため資格も、お金も必要無く、ただただ挑戦だけが待っていてくれます。そして、自分の表現が待っていてくれます。
また、学校ではなかなか知り合うことのないであろう異年齢の人達と交流を持つことができ、そうやって広がった視野には普段の学校生活だけでは見ることのできない、今までとはちょっと違った未来を見つめるかもしれません。
福島JuggLは自分たちの意見を発信することはあっても押し付けることはしません。新月灯花は原発に対し明確な意見を持っていますが福島JuggLでその意見を押し付けることなく、それぞれが自分なりの考えを持って、未来を見つめて欲しいと思っていると思います。そういうスタイルだからこそ、福島JuggLというイベントには大人から子どもまで誰でも参加してくれずっと続いてきたのだと思います。そんな、いわきの人々に寄り添いながら未来の受け取り手を育てている福島JuggLがこれからも続いていくことを願っています。
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【古川かなさん】福島県いわき市 震災当時:2歳

だれもが、忘れてはいけない、原発の大切なお話を聞いて、改めて「この人災を正面から受け止めて未来に生かすべきだ!」と思いました
昨日、学校のテストで1945年の8月6日の広島、9日の長崎で原発爆弾投下された
問題が出ました
ジャグルは、私達の励みになっているので、これからもずっと新月灯花さん達と一緒にジャグルを応援していきたいと思います
古川かなより
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【古川愛さん】福島県いわき市 震災当時:31歳

福島の問題を自分の事の様に考えて、ジャグルという場を与えて頂き、ありがとうございます
ジャグルに行けなくてなかなか会えなくても、ゆうこさんや新月灯花さんと心が繋がってるって信じていつか会える日を楽しみに生きています
何年時がたっても、どんなに距離が離れてても、新月灯花さんやジャグルを大切に応援して、一緒にまたギター弾きたいです
これからも、かな親子宜しくお願い致します
P.S
ゆうこさん、私達親子も何でも話せる大切な仲間だと思っていますので、勝手にじゃないので、ご安心下さい 光栄です!ありがとうございます
YouTube色々拝見させてもらってますが、中野さんリサイタル一番のお気に入りです
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【鈴木悠太さん】福島県いわき市 震災当時:15歳

ここ数日原発について色々考えてて、考えていたら何が正しいことで自分の正しさが何だったのかも分からなくなってきて時間がかかってしまいました…

10年前の原発事故に関して忘れてはいけないと思います。ただこの事故を「正面から受け止めて未来に生かさなくてはいけない」のは福島の人間だけではなく全国の人間含めてでないといけないと思います。

でないといつまでも福島は「被害者」のイメージから抜け出せないような気がしていますし、これは福島と国との話ではなくて、原発を保有する全都道府県を含めた話でもあると思うので。
今回何が正しいのか分からなくなったっていうのは、コロナ禍で仕事がなくなってしまった人の仕事先として原発関連の仕事があることです。
僕は完全に安全と言いきれなければ原発はなくてもいいと思っているんですが、このコロナ禍においてそういった人達の生活を支えている一面が原発にもあるも知ってしまったのでけっこう心境としては複雑ですね。
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【ゆりまむ】福島県いわき市 震災当時:15歳

私にとって福島Jugglは、参加する人たちと見てくれる人たちと同じ時間と音楽を共有できる大切な場所です。

そして震災から10年経って忘れがちになっている今。

すぐに現状を変えることはできなくても何もしなきゃ何も変わりません。

誰でも思いを発信したり伝える自由はあるのだからどんな小さな思いでも伝えるべきです。

私はこのJuggLで音楽を通して自分の言葉で思いを伝えたいです!

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【さとけん】福島県双葉郡富岡町 震災当時:28歳

原発事故から10年。
10年という長い歳月を経ても故郷の富岡町小良ヶ浜は未だ帰れぬ土地のまま…

故郷への恩返しといち早い帰宅困難区域解除への力に少しでもなりたいと思い、これまで原発作業員や原発への生コン運搬、中間貯蔵施設への汚染土輸送等の仕事に携わってきました。

元々音楽をやっていた事と自身の誕生日が事故当日の3月12日という偶然も重なり、毎年その日に原発が爆発した日を忘れないというテーマでRe-birthというライブイベントを開催しております。
新月灯花とはそんな縁もあり震災直後に出会い、福島JuggLへは初期の頃から参加をさせていただいております。

この10年の経験で身に染みて感じた事、それは10年前と大して何も変わってはいない、何も終わってはいないという事。

福島の原発事故が本当の意味で収束するにはまだまだ長い年月がかかるだろうと思います。
過去のチェルノブイリ原発事故のように、何十年もずっとその被害や痕跡は残っていく問題でしょう。
決して自分達の生きている間に解決する問題ではなく、原発事故を知らない新しい世代の人間にいつかその負の遺産を背負わせる時が来る事は間違いない問題。
事故前も事故後も政府やそれに携わる人間は、原発利権の甘い汁を吸う事をやめられず止められず、何かあれば住民に金を握らせて合法的に何も言えなくするという汚いやり方を推し進めるばかり…
だからこそ、これからの福島を背負う事故当時の惨状を知らない世代の福島の子供達が、今後そういった問題と関わっていく上で目先の利益に騙されず、己の意思を持ち、思っている事や言いたい事をちゃんと表現できる大人になれるような心の教育、表現できる環境作り、当時の惨状や報道では伝えられない事実を伝えて続けていく事が必要だと切に感じております。

一先ず今年で10年の一区切りですが、原発問題が解決しない限り、福島JuggLとは更にまた10年20年と長い付き合いになるかと思います。

そんなこんなで、これからもどうぞよろしくお願い致します。

佐藤賢治(さとけん)

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【中村雄紀さん】福島県川内村 震災当時:27才

まもなく震災から10年、ここ川内村は帰村宣言をしてから9年が経とうとしています。
原発事故により多くの人々の気づきや戸惑いがうまれるなか、時が経ち私たち福島県民も新たなフェーズに来ているとも感じています。
新月灯花は、そんな真っ只中の子供達に向けて、音楽の力で忘れてはいけないそれぞれの大切な事を伝えて伝染してそれが輪になって広がっていて。JuggLで見たあの光景は本当に素晴らしかった!ありがとう!
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【Sさん】福島県いわき市 震災当時:45歳

「もう10年、まだ10年。
捉え方によって感じる長さは違いますが、大きな区切りをむかえた事は間違いありません。
またこれから10年、新たな一歩を踏み出す先が明るい未来である事を信じ、希望を持って進んでいきたいと思います。」
「自然災害などで大きなダメージを受けた人たちに一番何が必要か?。
自分が被災して初めて分かりましたが、「寄り添うこと」だと思いました。

不安に包まれたこの福島の土地に毎月通い続け、10年間ただ寄り添い続けてくれた福島JuggL。
本当に感謝の気持ちしかありません。」
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【club SONIC iwaki 三ヶ田圭三さん】福島県いわき市

震災を経験して10年、いわきには様々な人達が足を運んでくれました。
ライブハウスの日常も地元の出演者を中心に回っていた場所から、いろいろな土地の人達が混ざり合う場所に変わっていきました。
それは地元の人達が集まる場所、という本質を見直す事にもなったのでした。
やはり地元は地元の人間で。それぞれの住んでいる場所をより良くしていくのが一番大切で、楽しい事だと痛感しています。
福島JuggL。ずっといわきに通い続けてくれている人達。br その関係を大切にできるかどうかは、やはり住んでいる自分達がその場所を支えていけるかどうかだと思っています。
いつまでも、そんな人達がきてくれる土地であるためにも、ここで、がんばります。これからもよろしくです!
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【小出裕章さん】元京都大学原子炉実験所助教

国はフクシマ事故をなかったことにしようとしています。そんなことはさせたくありません。
音楽の力は絶大です。新月灯花の皆さんの思いが、大輪の花を咲かせるよう願います。ご活躍ください。
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【国弘さん】山口県上関祝島

福島の皆さん、あの原発事故から、10年が経ちます。
電気を作る為にもっとも危険な核エネルギーを利用する事の恐ろしさを世界中の人に訴えて下さい!
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【PANTAさん】ミュージシャン

震災後、郡山で開かれたプロジェクト・フクシマに遠藤ミチロウの声かけで出演。
ミチロウは旗を振りながら放射能が癒えていない球場を走り回る。
相棒の石塚俊明からの要望で、いわき市のホールで演奏。新月灯火のユーコから、福島の高校生と一緒に踊ってくれと言われ、漫画家の浦沢直樹と一緒にフォーチュンクッキーを踊る羽目になったが、一緒に踊っているミチロウも、シェケナの内田裕也氏も旅立ってしまい、いまやYOUTUBEでしか観られなくなった。

そして福島Juggl、ユーコの声かけならいつでも駆けつけたい。
自分に出来る範囲で思い切り協力させてもらいたい。ヒロシマナガサキの惨劇が忘れっぽい日本人の記憶から希薄になっていってしまっているいま、この福島を決して忘れてはならないだろう。

クソリンピックが福島の大惨事をなかったことにしようとしているが、そんなことをさせてはならない。自分たちは音楽で心を繋げよう。主義主張考え方の相違より、いまは繋がることが大事という福島Jugglの在り方が大好きです。

・・・PANTA ☆彡

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【中川五郎さん】ミュージシャン

ここにいる そこにいる
そこにいく ここにくる
そこをうたう ここをうたう
こことそこは ちがうけれど
ここはそこで そこはここ
ここにいるだれもが そこにいて
そこにいるだれもが ここにいる

こことそこは ちがうけれど
ここがそこになり そこがここになる
かんがえ おもい そうぞうし きづき
うごき はなし うたい だきあい

ここはそこで そこはここに
さきにむかう たいせつなあつまり
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【AYさん】福島県いわき市 震災当時:15歳

私たちはもう大人だけど、もっと下の子供達にずるずる影響がいくのが本当に嫌です!

私の恋人は、原発事故で故郷の双葉の実家に突然帰れなくなりました。
いまだに帰れてないです。
放射線の数値がまだ不安定なのに、オリンピックを理由に電車を開通させた政府には腹が立ってます。
JuggL続けてくれてて、本当涙が出ます🥲

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【YDさん】福島県いわき市 震災当時:小5

1週間も置いてしまってすみませんでした。LINEを頂いてから、色んなことを考えました。
今回こんな風に声をかけていただいたんですけど、メッセージは提供できないです…本当にごめんなさい…うまく伝えられるかわからないですが、気持ちをまとめたので送ります。

当時小学5年生でした。その後中学高校の時も震災関連で様々なことを聞かれたり、イベントに参加したりしました。しかし、いわきだけをとっても色んな被害状況の人がいて...
私は正直、当時、他の人の語るような苦労をしたという記憶があまりないんです。
勿論、水や電気が使えなかったり、食器が割れたり、父が関わっていた四倉の夏祭りの工房が被害を受けたり、残念な事はたくさんあったけれど、幸い身内が亡くなったりということはありませんでした。
だから、津波で家族が亡くなった人や原発事故のドキュメンタリーも、テロップで宮城や福島と表示されていても、当時の私は自分の身の回りで起こることが全てだったので、ニュースで映る映像が身近な出来事だと認識できていませんでした。
震災当時小学生ということもあって、親や教師など周りの大人が色々動いてくれていたんだろう、だから対して不安になることもなく、大人がしてくれることに身を任せて生活できていたのだろうと今は思うんです。
あまり大変だったと思わないのも、当時ショッキングな映像は見せないようにしてくれていたのだと思います。
両親や祖父母は仕事や生活のことで忙しそうにしていたので、不安を煽る情報や不便な生活が気にならないように考えてくれていたのかもしれません。

震災のことに関してはむしろ、比較的被害が少ないと感じている私が「被災者代表」という感じで復興イベントに参加したり、震災当時のインタビューを受けることに対して、もっと辛い思いをした人への申し訳なさや居心地の悪さを感じます。沿岸部の方々や、原発事故で故郷を離れなくてはいけなかった人は、被害の少なかった地域に住む私のインタビューを見てどう思うんだろう、とか...

原発に関しても、そういう気持ちがあります。
私が中学の時は通学路の近くが仮設住宅だらけになって、避難してきた人が小さいプレハブで生活しているのを見たり、風評被害のニュースを見ていて、事故がなければよかったなとはとても思います。

事故が起きると原発は広範囲に被害を生む上、適切な処理というのが確立されていなくて付け焼き刃な対処しかできない。未だに影響を受けている人が沢山いるし、もう故郷に帰ることを諦めたり、置いていった家畜が餓死する罪悪感を今も持ち続けている人もいるかもしれない。こういう状況を考えると、事故が起こるか起こらないかでビクビクするより、そもそも原発は無くなった方がいいんだろうと思います。

でも、全て無くしたあと、今まで原発で賄っていた電力はどうするのか?などを考えると、仕方ないって思ってしまう部分も少しあるんです。今の火力偏重に加えて、原発で生み出していた分も火力や水力でどうにかすることは可能なのか気になっています。
そして、原発を建設・稼働することで交付金を得て、それが財政の一部を占めている自治体はとても困ると思います。例えば宮城県女川町など...。昨年女川は再稼働に合意しました。小さな自治体は、その交付金に頼らなければいけない現状があって、原発のデメリットを知った上でも頼らないと運営できない(?)のが難しいところだなと思うんです。
だから、原発に対してこうあるべき!という明確な意見が私の中で出せていません。ジャグルで自分の立場を示されて歌にしている方や、新月灯花の皆さんに比べて私は知識不足を実感します。政治のこともそうです。
色んな立場で書かれたものや映像を見れば見るほど、どちらの選択が良いのか?正しいのか??分からなくなります。原発反対という意見に本当に賛成だし、逆に、(少ないとは思いますが)原発があるから潤っている場所のことも考えなきゃいけない、とも思います。

どちらかを切り取って要約してしまうと本当の私の意見ではなくなってしまうし、結論も出ないしで、全然纏まってなくて長文になってしまってすみません。

震災の中でも原発の話題は複雑で、自分で言葉にすることにすごく責任感じるし、意見にもそぐわないので今回はすみません…

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【富澤タクさん】(Number the.、グループ魂、THE IMAGE)

自分たちはよく考える機会をもらった。
災難を被ってしまった当事者の方々には
身をもって深く学ぶこともさせていただいた。
まだ選択できるという幸運もある。
何より「生」をまだ手にしている。

偶然の残りし者たちだとして、
これを読むだけの多少なりとも余力がある人たちは(書いている自分も)
たとえ一滴の水であるという無力感があるとしても
いずれは石をも穿つのだと信じて、
物事の変化を注視していく使命がある。(おそらく。)

せめて眼差しを逸らさずに。
眼差しという矢の弓を十分に引きながら。
受けるも、放つも、よくよく言葉には気をつけて。

いよいよ僕らは大きな岐路に立っている。
さて、どうする?

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